解決できない問題、遺書?

暗い内容なので、見たくない方は見ずに。

 

いつものごとく、最初の眠剤が切れて目が覚めたので、せっかく自宅だからと次の眠剤が効くまでパソコンを開いてみました。

病院じゃできないぞ(笑)

そういえば、具合が悪いときに手紙を書いたなあ。

誰にあてたか忘れちゃったけど、遺書みたいな内容だったような気もする。

と思って、机をごそごそ探ってきました。

出てきた出てきた。

今の病院に通えるまで、8月から10月まで、いつも1錠で効いていた抗うつ薬がいくら増量しても効かなくなったときに、信頼している上司に向けて書いた手紙です。

この手紙の中に、私の問題を解決する鍵が含まれている気がして。

今後の課題として、ここに残しておきたいと思いました。

 

忙しい中、仕事を休ませていただき、本当にありがとうございます。

いつも優しく声をかけてくれて、救われています。

症状のほうはまだよくはならないけど、薬の量を増やしてもらっているので、以前のような希死念慮は薄くなりました。

空をきれいだとか、川をきれいだとか思う余裕が出てきて、すごく安心しました。

消えたいという気持ちは私の本心ではなく、単に病気がそう思わせているだけなのだと気づくことができ、安心しました。

ただ、楽しいと感じるきもちは以前薄いままです。

もともとの性格がそうだったのかさえ、今となってはわかりません。

私は看護の仕事が大好きです。

家族も、友人も。

自分の生きてきた環境も、いろいろありましたが、すべて大好きで、なにひとつ不満はありません。

だからこそ、なんで今回、よくなっていた病気が悪化してしまったのか、わからないんです。

原因のあることには対処できます。

でも、原因のわからないことには対処のしかたが分からなくて戸惑っています。

私は、人前だとたくさん笑って、陽気な人間のふりをすることもできます。

きっと職場で私が病気だと気づいた人はいなかったでしょう。

なぜいきなり休んだのか、理解できなかったと思います。

こころの中はつらくて常に死を考え、でも表情は笑顔をつくり、明るい声を出す。

苦痛でした。

皮肉なことに、患者さんの中には私の笑顔や声、言葉をいつも明るくていいねってほめてくれた方もいました。

でも私は、どれが本当の自分かわからなくなって、気が狂いそうになります。

自分が分からなくなって、自分と他者との境もあいまいです。

他人の問題はすべて自分の問題。

解決できないのは、自分の力が足りないからだと思ってしまうんです。

これから先、今のまま変わらず、楽しみを感じることができなかったら、きっとまた今みたいに希死念慮が再発して、生きていく意味が分からなくなってしまいます。

今は、それがなによりも怖いです。

これからちゃんと生きていくことができるのか、不安で自信がありません。

 

私のうつ病は今回2回目と解釈していいんでしょうか。

そうなると、再発。

1回目の再発は50%、2回目は70%、3回目は90%。

再発率はどんどんあがっていきます。

薬に頼るのではなく、自分が変わらなければ、どんどん繰り返してしまうのです。

 

これから先、今のつらさがまた訪れたと考えると、不安で気が狂いそうになります。

私は職場のみんなのいういわゆる「ぷしこ」です。

私は「ぷしこ」という表現を好みません。

悪い意味だととらえています。

「ウロ」「ギネ」は言えるのに、なんでだろうか。

その言葉自体を悪くつかう看護師が存在しているからだと思います。

看護師といっても、精神疾患のことはほとんど理解できていません。

身体疾患についても、ちゃんと理解しようとしている人が少ないんです。

そういう人は、自分や自分の家族が病気になって、初めて自分の看護の粗雑さに気が付くんでしょう。

だから、職場の人には一切病気のことは告げていません。

本当に信頼できる友人、先輩にだけ、理解と助けを求めて伝えました。

手紙の中には、私の性格に関するキーワードが含まれていました。

これをもとに今後カウンセリングをしてもらい、自分と他者の境界線をきちんと線引できるようトレーニングしていくことが、課題であると気が付くことができました。

遺書なのか、、これは。と思うような内容でしたが、

ある意味私にとっては明るい内容の手紙でした。

治療方針が決まって、よかった。

過去の自分に感謝です。